吹奏楽のポップス楽譜を探していると、ひときわ存在感を放つシリーズがあります。
ニュー・サウンズ・イン・ブラス(New Sounds in BRASS)。
通称「NSB」「ニュー・サウンズ」。
《宝島》《アフリカン・シンフォニー》《ディズニー・メドレー》など、吹奏楽の定番作品を数多く生み出してきたシリーズです。
ところが、実際に楽譜を買おうとすると、なかなかのお値段。
1曲で1万円以上。中には2万円を超える楽譜もあります。
思わず、こんな疑問が浮かびます。
「ニュー・サウンズって、どうしてこんなに高いの?」
しかも、ほかの出版社からもポップスの楽譜は販売されています。
それなのに、なぜニュー・サウンズは長年にわたって特別な存在として扱われてきたのでしょうか。
今回は、シリーズの生みの親である岩井直溥の証言や、出版社・演奏団体の公式資料から、その歴史を調べてみました。
すると、ただの楽譜シリーズとは思えない、意外な歴史が見えてきました。
まず、ニュー・サウンズは実際いくらする?
最初に、楽譜の販売価格を確認してみましょう。
2026年11月時点で、ヤマハの公式通販サイトに掲載されている価格例です。
| 作品 | 税込価格 |
|---|---|
| YOASOBIメドレー(第49集) | 11,000円 |
| ディズニー・メドレー・リターンズ(第49集) | 13,200円 |
| アフリカン・シンフォニー(岩井直溥編曲・復刻版) | 19,800円 |
| シング・シング・シング(第9集) | 22,000円 |
1曲で2万円を超えるものもあるとは、なかなか強気な価格設定です。
もちろん、これらはスコアと多数のパート譜を含む吹奏楽用の楽譜セットです。
それでも、学校の吹奏楽部にとっては決して小さな出費ではありません。
では、なぜこのような価格になっているのでしょうか。
その答えを探すには、まずシリーズの誕生までさかのぼる必要があります。
そもそも、ニュー・サウンズは何のために生まれた?
ニュー・サウンズ・イン・ブラスが誕生したのは1972年。
中心となったのは、後に「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれる岩井直溥です。
実は、このシリーズの誕生には、当時の音楽業界の変化が深く関わっていました。
戦後の日本では、ジャズやラテン音楽を演奏するビッグバンドが人気を集めていました。
岩井自身も、トランペット奏者や編曲家として、そうした世界で活動していた人物です。
ところが1960年代になると、エレキギターを中心としたロック音楽が台頭。
ビッグバンドは次第に活躍の場を失っていきました。
そんな状況を見ていた岩井たちが考えたのが、ビッグバンドの演奏スタイルを吹奏楽に持ち込むというアイデアだったのです。
当時の吹奏楽演奏会では、マーチ、オリジナル作品、クラシックの編曲作品などが中心。
ポップスは、現在ほど一般的なレパートリーではありませんでした。
そこに、ジャズやラテンのリズム、華やかなブラスの響き、ソロを生かした演奏スタイルを持ち込もうとしたわけです。
ところが、この企画は最初から歓迎されたわけではありません。
岩井の回想によると、吹奏楽にビッグバンドのスタイルを取り入れることには反対意見も多く、企画の実現までに約1年間の話し合いが必要だったそうです。
現在では当たり前になっている吹奏楽ポップスも、当時はかなり新しい試みだったのです。
しかも、ジャズっぽく吹くと怒られたらしい
岩井直溥がユニバーサルミュージックの特設サイトに寄せた文章には、さらに面白いエピソードが登場します。
ある年のレコーディングで、アルトサックスのソロをジャズらしく演奏したところ、関係者から、もっと健全な雰囲気にしてほしいという注文が付いたそうです。
岩井は、原曲のイメージが変わってしまうような要求だったと振り返っています。
さらに、ポップス特有の演奏記号や奏法について、勝手な記号を作らないでほしいと叱られたこともあったといいます。
今でこそ、吹奏楽でスウィングやラテン音楽を演奏することは珍しくありません。
しかし、当時はポップスの演奏スタイルそのものが、吹奏楽界に十分浸透していなかったのです。
ジャズらしいサックスソロが問題視される。
そんな時代から、ニュー・サウンズは始まりました。
最初から「楽譜とレコード」をセットで売っていた
1972年5月16日と17日、東京の杉並公会堂でニュー・サウンズ第1集の録音が行われました。
ここで注目したいのが、その販売方法です。
ニュー・サウンズは、楽譜とLPレコードを同時に発売する企画として誕生しました。
岩井の回想によると、当初からヤマハやレコード会社が協力し、楽譜出版と録音制作を進めていたのです。
楽譜はヤマハ。
録音は第1集がCBSソニー、その後は長く東芝レコード系のレーベルから発売されました。
考えてみると、これはかなり合理的な仕組みです。
楽譜だけでは、スウィングやラテン特有のリズム、音色、ニュアンスを十分に伝えることが難しい場合があります。
しかし、実際の演奏を聴けば、どのような音楽を目指しているのかがわかります。
ニュー・サウンズは、楽譜だけでなく、その演奏スタイルまで一緒に届ける企画だったのです。
演奏しているのは、プロの吹奏楽団だった
そして、このシリーズを特別な存在にしたもうひとつの要素が、録音を担当した演奏家たちです。
1975年の第4集からは、東京佼成ウインドオーケストラが演奏を担当するようになりました。
さらに録音では、ジャズやポップスの第一線で活躍するゲスト奏者が参加することもあります。
例えば、1987年の第15集。
このアルバムには、真島俊夫編曲の《宝島》が収録されています。
録音には、ドラマーの猪俣猛、サックス奏者の須川展也、トランペット奏者の数原晋など、多彩な演奏家が参加しました。
吹奏楽団に、ジャズやスタジオ音楽の演奏家が加わる。
こうした録音から、ニュー・サウンズ独特のサウンドが生まれていったのです。
また、岩井はヤマハの支援を受けて全国各地でポップス・クリニックを開催しました。
楽譜を発売するだけではなく、ポップスの演奏方法そのものを広める活動にも取り組んでいたわけです。
ニュー・サウンズが長く支持されてきた背景には、楽譜、録音、演奏指導を結びつけた取り組みがありました。
ところが、2020年にシリーズが止まってしまった
長年にわたって続いてきたニュー・サウンズですが、実は一度、継続が難しくなった時期があります。
2020年の第48集を最後に、シリーズの新作制作が休止したのです。
背景には新型コロナウイルスの流行だけでなく、CD市場の変化もありました。
2023年のシリーズ復活プロジェクトでは、編曲・指揮を担当する天野正道が、CDの売上が伸び悩む時代に、大手レコード会社が高予算の録音制作を敬遠するようになったと説明しています。
長年シリーズに携わってきたレコーディング関係者からも、従来の方式での継続が難しくなった事情が語られています。
つまり、ニュー・サウンズの大きな特徴だった豪華な録音制作が、シリーズを続けるうえでの負担にもなっていたのです。
なんと、CD制作だけで約900万円!
ここからが今回の調査で最も驚いたところです。
2023年、東京佼成ウインドオーケストラは、ニュー・サウンズを復活させるためにクラウドファンディングを開始しました。
当初の目標金額は800万円。
ところが、プロジェクトの説明によると、CD制作には約900万円、記念コンサートの運営まで含めると約1,400万円もの費用が必要でした。
CDを1枚制作する企画に、約900万円。
普段完成されたCDを聴いているだけでは、なかなか想像できない金額です。
では、実際にどれくらい支援が集まったのでしょうか。
結果は次のとおりです。
| 項目 | 金額・人数 |
|---|---|
| 当初の目標金額 | 800万円 |
| 最終支援総額 | 13,291,540円 |
| 支援者数 | 786人 |
| CD制作の予算 | 約900万円 |
| コンサートを含む必要経費 | 約1,400万円 |
目標の800万円を大きく上回る支援が集まり、2024年にシリーズは復活しました。
ただし、集まった支援金のすべてがCD制作に使われたわけではありません。
クラウドファンディングの手数料、コンサートの開催、支援者向け特典の制作・発送などにも使用されています。
実際、公式の終了報告では、不足分をコンサートのチケット収入や自己資金で補ったことも明かされています。
これだけのお金を必要とする企画が、ファンの支援によって復活したのです。
復活したニュー・サウンズ、相変わらず豪華だった
2024年5月、ニュー・サウンズ第49集が発売されました。
演奏は東京佼成ウインドオーケストラ。
指揮は天野正道。
編曲には星出尚志、金山徹、鈴木英史、高橋宏樹、三浦秀秋などが参加しました。
さらにレコーディングには、ドラマーのそうる透、トランペット奏者のエリック・ミヤシロなどもゲスト参加しています。
収録されたのは、YOASOBIや『SPY×FAMILY』、ディズニー、シティーポップなどを含む9曲。
選曲には事前に募集したファンのリクエストも反映されました。
特に象徴的なのが《アフリカン・シンフォニー2024》です。
1977年に岩井直溥の編曲で登場し、吹奏楽の定番となった作品が、約半世紀を経て三浦秀秋による新しい編曲で収録されたのです。
過去の名アレンジを受け継ぐだけではなく、同じ楽曲に新たな解釈を加えていく。
そうした試みも、ニュー・サウンズの歴史の一部になっています。
では、ニュー・サウンズの楽譜が高い理由は?
ここまで調べると、ニュー・サウンズが単なる楽譜シリーズではないことがわかります。
著名な編曲家によるアレンジ。
多くのパートを持つ吹奏楽用の楽譜。
原曲の著作権処理。
そして、プロの演奏家による録音制作。
こうした多くの仕事が組み合わされて、シリーズが作られてきました。
ただし、2024年のCD制作に約900万円かかったからといって、その費用がそのまま個々の楽譜価格に上乗せされているわけではありません。
ヤマハは、ニュー・サウンズの各楽譜について、編曲料・印刷費・著作権料・利益などの詳細な内訳を公表していません。
したがって、なぜ特定の楽譜が11,000円で、別の楽譜が22,000円なのか、正確な理由まではわかりません。
一方、楽譜の出版に必要な作業や権利処理に加えて、シリーズ全体では大規模な録音制作も行われてきたことは確かです。
ニュー・サウンズは、演奏用の楽譜だけを商品化するのではなく、楽譜と録音を組み合わせて吹奏楽ポップスを広めてきたシリーズなのです。
実は、昔の編曲も今なお商品になっている
もうひとつ興味深いのが、過去の作品の扱いです。
ヤマハでは、古いニュー・サウンズ作品の復刻出版も行っています。
例えば、1972年の第1集に収録された《ヘイ・ジュード》。
2026年1月には、岩井直溥の編曲による楽譜が再び発売されました。
また、岩井編曲の《アフリカン・シンフォニー》は、2017年に新たに浄書され、従来のコンデンススコアからフルスコアに変更された復刻版が出版されています。
過去の作品を単に再印刷するだけではなく、楽譜を整え直して発売することもあるのです。
1970〜80年代の編曲が、現在も演奏され、商品として販売されている。
ニュー・サウンズが長く蓄積してきたレパートリーの強さを感じさせる事例です。
ミュージックエイトとは、何が違うのか?
吹奏楽ポップスといえば、ミュージックエイトも有名です。
こちらは1965年創業。
ニュー・サウンズよりも早くから、吹奏楽のポピュラー楽譜を出版してきた会社です。
ミュージックエイトは、学校や地域の楽団でも楽しめるポップス譜を幅広く提供してきました。
一方、ニュー・サウンズは、ビッグバンドの演奏スタイルを吹奏楽に取り入れるという発想から誕生し、レコード会社やプロ奏者とともに発展してきました。
もちろん、両者は扱う作品も対象とする演奏者も重なる部分があります。
しかし、成立の経緯や歴史を調べてみると、吹奏楽ポップスを広めるためのアプローチには違いがあったことがわかります。
安価なシリーズと高価なシリーズの単純な違いではなく、どのような演奏体験を届けようとしてきたかという歴史の違いなのです。
結局、ニュー・サウンズはなぜ高いのか?
今回調べてみると、ニュー・サウンズ・イン・ブラスの歴史は、想像していた以上に壮大なものでした。
ジャズのビッグバンドが衰退していく時代に、岩井直溥たちが考えた新しい吹奏楽のスタイル。
最初は反対意見もありながら、楽譜とレコードを同時に発売し、全国でポップスの演奏方法を広めていきました。
やがて、多くの名編曲とプロ奏者による録音を残し、日本の吹奏楽ポップスを代表するシリーズへと成長。
そして2020年には制作が休止されましたが、2024年には多くのファンの支援によって復活を果たしています。
個々の楽譜の価格がどのように決まっているのか、その詳細は公表されていません。
しかし、ニュー・サウンズが長年取り組んできたのは、楽譜の出版だけではありませんでした。
吹奏楽でポップスを演奏する文化そのものを作り、広めてきたシリーズだったのです。
1曲2万円の楽譜を高いと感じるのは、決して不思議ではありません。
ただ、その楽譜が生まれてきた歴史を知ると、ニュー・サウンズというシリーズの見え方も、少し変わってくるのではないでしょうか。
