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吹奏楽コンクールの自由曲はなぜ切り刻まれる?原曲カットの闇

吹奏楽コンクールの自由曲を聴いていると、時々、不思議な演奏に出会います。

壮大な序奏が終わったと思ったら、突然クライマックス。

盛り上がってきたと思ったら、中間部がごっそり消えて、そのまま最後の一撃へ。

「えっ、そこ全部カットするの?」

原曲を知っている人ほど、そんな違和感を覚えたことがあるのではないでしょうか。

音楽作品の完成度を競うはずの吹奏楽コンクール。

なのに、作曲家が書いた音楽を切ったり、つなげたりして演奏することが当たり前になっています。

そもそも、誰がカットする場所を決めているのでしょうか。

そして、作曲家は自分の作品を切り刻まれて、何とも思わないのでしょうか。

目次

すべての元凶は「12分」という制限時間?

まず、全日本吹奏楽コンクールには演奏時間の制限があります。

課題曲と自由曲を合わせて12分以内。

例えば課題曲に4分かかるなら、自由曲に使えるのは約8分です。

ところが、吹奏楽には10分、15分、20分を超える大曲も珍しくありません。

そこで登場するのが、自由曲のカットです。

途中の楽章を省略する。繰り返しを削る。長い経過部を飛ばす。

場合によっては、曲の前半と後半をつなぎ合わせることになります。

もちろん、12分を超過すれば失格となるため、演奏する側にも事情があります。

しかし、冷静に考えると、ちょっと不思議です。

「最初から8分の曲を選べばよくない?」

それでも大曲を演奏したい。

しかも、できれば一番盛り上がるところは残したい。

そんな演奏現場の事情が、コンクール独特のカット文化を生んでいるのでしょう。

作曲家は本当に怒っていた

実は、作曲家がコンクールでの無断カットに苦言を呈した事例があります。

アメリカの作曲家ジョン・マッキーです。

マッキーの交響曲《ワイン・ダーク・シー》は、ギリシャ神話を題材にした大規模な吹奏楽作品。

2018年の全国大会でも、複数の中学校がこの作品を演奏しています。

そして過去には、日本のコンクールで演奏された動画を見たマッキーが、作曲者の同意を得ないカットや改変についてSNSで苦言を呈したことが、吹奏楽専門メディアで紹介されています。

この出来事を取り上げた作曲家・指揮者の正門研一氏は、著作者の意に反する改変と、演奏者が自由に作品を扱えることは別だと指摘しています。

つまり、作曲家からすれば、

「時間が足りないので、勝手に短くしました」

では済まない場合もあるのです。

長い時間をかけて構成した作品が、演奏者の都合で別の形になってしまう。

それを好ましく思わない作曲家がいるのも、理解できます。

※マッキー本人の当該SNS投稿原文は今回確認できなかったため、専門メディアによる紹介に基づいています。

出版社は、カットをどこまで認めている?

さらに調べてみると、出版社によって対応が違うこともわかりました。

フォスターミュージックは、演奏時間制限に伴うカットについて、事前の編曲申請を求めています。

また、作曲者の意図や作品の雰囲気を大きく損なう変更は許諾できない場合があると案内しています。

一方、CAFUAレコードでは、コンクールの演奏時間に合わせたカットを原則として認めています。

ただし、作品の性質を損なわないよう配慮することが条件です。

さらにブレーンは、2027年1月以降の演奏に適用する案内で、時間制限によるやむを得ないカットを申請不要・許諾料不要とする方針を示しています。

ただし、楽章やカット部分の前後を入れ替えることは認めていません。

つまり、カットが一律に禁止されているわけではありません。

一方で、どんな切り方でも自由に認められているわけでもないのです。

カットしても、作曲家の作品であることは変わらない

ここで重要になるのが、著作者人格権という考え方です。

著作権法には、著作者が自分の作品を意に反して改変されないための「同一性保持権」があります。

演奏時間を短縮する目的であっても、作品を自由に改変していいとは限りません。

ただし、実際にはコンクールという特殊な事情もあり、一定のカットを認める作曲家や出版社もいます。

問題になるのは、どこまで変更していいのかという線引きです。

例えば、長い繰り返しを省略することと、曲の構成そのものを組み替えること。

この2つでは、作品への影響が大きく違います。

カットの際に新しい和声やつなぎを加えれば、単なる省略ではなく、別の編曲に近づくこともあります。

だからこそ、出版社が許諾条件を細かく設けているのでしょう。

それでも大曲を演奏したい理由

そもそも、どうして最初から短い曲を選ばないのでしょうか。

ひとつ考えられるのは、大曲ならではの魅力です。

華やかな金管楽器、壮大なクライマックス、難しい技巧的なパッセージ。

演奏者が憧れる曲には、そうした魅力が詰まっています。

また、有名な作品を演奏することそのものが、団体にとって大きな挑戦になる場合もあります。

ただし、原曲の音楽的な流れを大きく変えてしまえば、作曲家が意図した作品とは違うものになってしまうかもしれません。

「この曲を演奏したい」という気持ちと、「12分以内で評価されたい」という事情。

自由曲のカット文化には、その両方が存在しています。

結局、なぜ自由曲は切り刻まれるのか?

今回調べてみると、自由曲のカットは単なる演奏者のわがままという話ではありませんでした。

12分という時間制限があり、限られた時間で作品を演奏する必要がある。

さらに、作品によっては作曲家や出版社が一定のカットを認めています。

一方で、無断改変に不満を示した作曲家も存在し、すべてのカットが歓迎されているわけではありません。

結局、自由曲が切り刻まれるのは、大曲を演奏したいという音楽的な欲求と、コンクールの時間制限が衝突するからなのでしょう。

でも、ちょっと皮肉な話です。

作曲家が時間をかけて作り上げた音楽を、コンクールで演奏するために短くする。

その結果、原曲の魅力が失われてしまったとしたら。

「音楽を評価するために、音楽を削っている」

吹奏楽コンクールの自由曲カットには、そんな矛盾も潜んでいるのです。


主な参考資料

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